東京高等裁判所 昭和43年(う)668号 判決 1968年8月28日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金三万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
<前略>
検察官の所論は、原判決は、被告人が交差点における右折に際し、方向指示器による適式の右折合図をしていたので、それ以上に被告人において自車の右折合図を無視、誤解または見落す等して違法な追越しを図る後続車両のあることまでも予想して、いちいちみづから後方の確認を行ない後方の安全を確認して右折を行なうべき業務上の注意義務はないのであり、また、前記右折方法について違法の点はないと判示し無罪判決を言い渡したが、右は事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。
(一) よつて審究するに、
<証拠>を総合すれば、
(イ) 本件交通事件の現場附近の状況は、東方新潟県糸魚川市方面から西方同県西頸城郡青海町方面に至るアスファルトで舗装された歩車道の区別なきやや直線の平坦な旧国道八号線道路(幅員約5.9メートル)と右道路から北方に分岐して日本活性白土株式会社青海工場原料置場に通ずるやや上り勾配の非舗装道路(交差点における幅員約一五メートル)とが丁字形に交差する三差路であつて、右交差点附近に信号機の設備なく、交通整備は行なわれておらず、本件事故当時の交通量は被告人の運転する貸物自動車の後方五〇数メートルの範囲内には被害者および目撃者八木弘の各運転する二車両があるのみで、被告人の視界内に対向車はなく、附近は前後左右の見とおしのきく状況にあつたこと、
(ロ) 被告人は、日本通運株式会社糸魚川支店青海営業所に自動車運転者として勤務し、車両運転の業務に従事するものであるが、昭和四一年一二月七日午前八時二五分ころ普通貨物自動車(新一あ第五六九九号、車幅2.25メートル、車長7.10メートル)を運転し、右旧国道八号線道路上を東方から西方に向い時速約三〇キロメートルで進行中、右(イ)記載の交差点を右折しようとしたものであるところ、右国道の幅員と車長との関係上、右右折過程のある時点においては、被告人の運転する貨物自動車の車体が道路を塞いでしまい、後続車両はその前後いずれをも通行することができなくなる状況であつたこと、
(ハ) 被告人は、本件交差点の前方三〇数メートル附近において腕木式ならびに後部赤色燈の点滅による右折合図をしたが、道路交通法第三四条第二項に「右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り、かつ、交差点の中心の直近の内側を徐行しなければならない。」と規定されているにもかかわらず、右折直前に一旦ハンドルを左に切り、しかも速度を徐行程度にまでおとさず時速約二〇キロメートルに減速したままで交差点の中心の直近よりも手前の地点を通つて小廻りに右折したこと、
(ニ) 被告人は、前記のとおり右折の合図をした箇所においてバックミラーにより後方確認を行なつたが、後続車両の存在に気付かず、その後も後続車両の存在を確認するに足る方法を構じなかつたので、現実には後続していた被害車両の存在に気付かないままに右のとおり右折をしたものであること、
(ホ) 当時被害者は、被告人の運転する貨物自動車の後方から少くとも時速約三〇キロメートルを超える速度で道路の中央よりやや右側部分を原動機付自転車を運転して進行し、衝突地点の直前においては道路の右側端に近いところを直進していたものであるが、そのままの速度で被告人の運転する貨物自動車の右側を追い抜くことができるものと考えていたところ、被告人運転の右自動車が徐行をせず急に右折し道路の進路を塞いだため、同自動車を避けることができず、同車体に衝突転倒し、よつて骨盤骨折、腰椎骨折、陰茎、両睾丸剥奪創等の傷害を負い、昭和四二年二月六日午後一時四〇分ころ糸魚川市大字寺町糸魚川病院において死亡するに至つたこと、
を認定することができ、記録を調査し、また当審における事実取調の結果に徴しても、右認定を覆すに足る証拠はない。
以上認定の諸事実に照らし考察すると、旧国道八号線の幅員は、被告人が前記のとおり右折しようとした附近においては、約5.9メートルに過ぎず、しかも右折して入ろうとする非舗装道路はやや上り勾配になつており、そのために被告人が右折する際に、道路交通法第三四条第二項所定のとおりあらかじめできる限り道路の中央に寄り、かつ交差点の中心の直近の内側を通るという方法をとるにつき、一般の交差点の場合に比し困難な事情があり、その結果被告人が前記のとおりの右折方法をとつたことを肯認することができるが、そのような右折方法による場合は、右規定に従つた右折方法による場合に比し、後続車両との衝突の危険を一層伴うことは明らかであるから、被告人としては、前記右折にあたり、徐行することはもとより、後続車両との安全を十分に確認し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたにかかわらずこれを怠り、後続車両がないものと軽信し、後方の安全を確認せず、前記のとおりの右折方法をとつて徐行もしなかつた過失により本件事故を惹起したものと認めるのが相当である。
もとより被害者側にも若干の過失が認められないわけではないが、それだからといつて被告人の本件業務上の注意義務違背に基因する刑事責任を否定しうるものではない。原判決引用の最高裁判所判決は事案を異にし本件に適切でないから、採用することができない。
以上のとおりであるから、本件事故が被害者の違法無謀な追越し企図に基因すると認定したうえ、被告人に業務上の注意義務を怠つた事実は存在しないものとして無罪を言い渡した原判決は、事実を誤認し、ひいて法令の解釈適用を誤つたものというべく破棄を免れない。論旨は理由がある。
(二) よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により当裁判所においてさらに判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は日本通運株式会社糸魚川支店青海営業所に自動車運転者として勤務し、車両運転の業務に従事するものであるが、昭和四一年一二月七日午前八時二五分ころ普通貨物自動車(新一あ第五六九九号)を時速約三〇キロメートルで運転中、新潟県西頸城郡青海町大字田海一一八番地先の旧国道八号線から分岐して日本活性白土株式会社青海工場原料置場へ通ずる道路に乗り入れるため右折するに際し、自動車運転者としては、あらかじめその前からできる限り道路の中央に寄り、かつ、交差点の直近の内側を徐行するとともに、右側の併進車両ないし後続車両との安全を確認して右折し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り後続車両がないものと軽信して後方の安全を確認せず、国道左端に一旦寄つてから交差点の直近の内側より手前の地点を通つて小廻りに、しかも速度を時速約二〇キロメートルに減速したのみで徐行せずに右折を開始した過失により、原動機付自転車を運転して追従していた鵜飼利光(昭和一九年五月一〇日生)をして被告人運転の貨物自動車の車体に衝突転倒させ、よつて、骨盤骨折、腰椎骨折、陰茎両睾丸剥奪創等の傷害を負わせた後、昭和四二年二月六日午後一時四〇分ころ、同県糸魚川市大字寺町糸魚川病院において死亡するに至らしめたものである。<後略>(飯田一郎 吉川由己夫 小川泉)
〔参考・原審判決の主文ならび理由〕
主文
被告人は無罪
理由
<前略> そこで、以下被告人に検察官主張のような自動車運転者としての業務上の注意義務を欠いた点があつたかどうかを検討すると、
1、検察官は、被告人の右折の速度、方法が違法であり、それが本件の過失内容の一つである旨主張するが、全証拠を総合しても交差点の右折方法として違法な点はなく(本件道路においては道路幅が狭い(六米に満たない)ため、予め、道路の中央に寄る必要はなく、また、交差点の中心の直近の内側でない部分を通行したと認める証拠はない。)、また、速度も被告人自認のとおり約二十粁毎時であると認められ、若干速い感はするとしても交差点における徐行といえない違法な速度とまではいえず、この点に本件の過失があつたとすることも出来ない。
2、次に、検察官は、被告人は右折の前に右側の併進車両ないし後続車両との安全を確認して右折すべき注意義務があり、被告人はこれを怠つた過失があつたと主張し、事実、前記説明のように、被告人の後方確認が不十分であつた(したがつて、そのために追従し、追越を図つていた鵜飼の姿を発見出来なかつた)ことは証拠上否定出来ないが、しかし、被告人は、本件右折地点の手前三十数米から方向指示器による適式の右折合図をしていたものと推認される(被告人が当初からその旨主張しているだけでなく、被告人が方向指示器を適式に作動させたであろうことは、被告人がいわゆる職業運転手であり、本件右折地点において右折することは当日の運転の予定の行動であつたこと等から認められるし、一方、方向指示器が適確に作動したであろうことは、本件自動車が本件事故の翌日の車検に備えて整備点検されていたものであることから十分認められる。)のであり、それ以上に、被告人において自車の右折合図を無視、誤解または見落す等して、違法な追越を図る後続車両のあることまでも予想して、いちいちみずから後方の確認を行ない、後方の安全を確認して右折を行なうべき業務上の注意義務まではなく、後方から来る他の車両の運転者が自車の右折合図を尊重し、交通法規を守り、速度を落して自車の右折を待つて進行する等安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足りたものと解すべきである(最高裁判所第二小法廷昭和四二年一〇月一三日判決参照)。そうだとすると、本件において、被告人に前述のような後方不確認の事実があつたとしても、それは法律上の注意義務を欠いたものとすることは出来ず、本件事故は被害者の違法、無謀な追越企図に主たる原因があつて発生したものというほかなく、被告人には過失責任を認めるべき業務上の注意義務違反はないことになるから、結局、本件事案は罪とならず、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。<後略>(昭和四三年二月一五日)